経歴とミクロ工芸の由来

 昭和20年、5歳の頃より小さい物に興味を持って何でも挑戦し、マッチ棒や楊子を使って、家・船・五重の塔・日本の城などを創作してきました。
 そんな折に、少年雑誌(冒険王)で、昭和19年〜20年ごろ、東京都北区の財団法人、母子友の会に於いて、神技米粒の頒布があり、精神力高揚・社会浄化光明運動の一環として極小文字作家・川部伝二郎氏を招き、米粒に文字を書く実演をされた記事に接する。
 (実演内容ー右側に、精神一到何事可成。左側に、依頼人の姓名ーを記入。)
 その際、川部伝二郎氏は、盲目寸前の方にして、敬愛するヘレンケラー女史の精神力の偉大さをさとり、滝に打たれ精神力を呼びもどし、無念無想の境地にいり一粒の米に毛筆で数百文字を浄斎到底人力では不可能事を可能とされた方で。…との記事を見てチャレンジしたのが、発端です。
 そもそも、米粒に文字を書くことは、今から凡そ1,300年〜1,500年昔、中国に広まったもので、米粒に(五穀豊饒)文字を書き、豊作を祈願して神へ奉納したり、畑にまいたりした祭事から発達してきたものを今に伝えております。


●1988年から4年3ケ月をかけ、市販の筆ペン使用で肉眼にて、一粒の米(裏、表)に般若心経をカタカナで繰り返し、5,551文字書くことに成功。


●1985年〜1988年、肉眼にて毛髪(白髪)一本73ミリの長さの中へ般若心経、漢字で276文字書くことに成功。


●1990年、0.9×0.9ミリ〜1×1ミリで日本のことわざ集の豆本の創作に成功。
(その他、最大サイズで10×12ミリ本を創作する。)


●1985年版、世界ギネスブック(人間の業績)欄に登録され、【米粒に世界44。国の国名と人間の毛髪一本にーTOKYO・JAPANーと書く妙技を肉眼にて披露する。】の記事が掲載される。


現在、手書き豆本、米粒絵、墨絵、仏像画、仏像彫刻、盆景、ミニチュア日本の城を創作する一方、お守りお米と創作に加えて以来、全国行脚を心掛けて、各地の催事、企画に参加しています。

米粒先生      



NHKBSプレミアム「欽ちゃんの全国びっくり王!」